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「あおもり歴史トリビア」第597号(令和6年4月12日配信)

「あおもり歴史トリビア」第597号(令和6年4月12日配信)

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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。

4月11日(木曜日)から新しい館内展示「旅の思い出〜旅の記録からみる青森〜」が始まりました。青森は北海道への玄関口ということもあり、多くの著名人が訪れています。今回の展示では著名な文人たちが残した日記や紀行文などの「旅の記録」から、青森の街に対する印象や人々との交流のようすがわかる記述を紹介しています。あわせて文人たちが訪れた合浦公園や浅虫温泉などの絵はがきも展示しています。絵はがきの多くは初公開の資料です。展示は7月1日(月曜日)まで行いますので、市民図書館へお越しの際はぜひご覧ください。

さて、この展示を企画するきっかけとなったのは、太宰治の小説『津軽』の「桜の頃の弘前公園は、日本一と田山花袋が折紙をつけてゐるさうだ」という一節が目に留まったことでした。田山花袋(たやま・かたい 1872−1930)は自然主義文学を代表する作家であり、全国各地を訪ねて優れた紀行文を残したことから「紀行文の名手」と称されています。では、花袋は青森市を訪れた際にどのような印象を受け、どのような紀行文を残したのでしょうか。私は花袋の作品を読んでみることにしました。

青森市に関する記述は複数の作品にみられました。例えば「奥の細道の今昔」(『草枕』〈1905年 隆文館〉に収録)では青森港を「盛んなる港、立派なる港、交通上必須の港、けれど風情ある港では無い」と紹介しています。残念ながら青森港には良い印象を持たなかったようですね。また、朝食・昼食の前に「玉子を落したスープを吸はせるのは甚しく俗だ」とも記しています。花袋が「甚しく俗」と感じた「玉子を落したスープ」とはどのような料理だったのか気になります。

『日本一周』(1916年 博文館)では青森の市街を「単調でそして単純」、合浦公園を「大したものではない」と表しています。続いて「家並も本州島最北の第一港としては甚だ見劣がされる」とも述べており、青森の街に対する評価は低いものであったことがわかります。

一方、花袋は浅虫温泉を高く評価しています。『日本漫遊案内』(1905年 博文館)では「避寒避暑によろしく風景亦た東北温泉中に冠たり」と表現しています。さらに、「奥の細道の今昔」では浅虫の海岸の風景を「指を屈する価値(ねうち)がある」とし、その美しい海の色を「碧いと言つた丈では充分に形容し尽したとは言へぬ」と語っています。花袋の紀行文を読み、浅虫温泉を訪れたいと感じた人は多かったのではないでしょうか。私も浅虫の碧い海を改めて観に行きたいと思いました。


《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp

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