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「あおもり歴史トリビア」第464号(令和3年7月9日配信)

「あおもり歴史トリビア」第464号(令和3年7月9日配信)

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〈青森市メールマガジン〉
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 こんにちは! 室長の工藤です。
 平成9年(1997)度にスタートした市史編さん事業では、『広報あおもり』に「あおもり今・昔」というコーナーを設け、平成9年8月〜同17年3月まで136回の連載を行っていました(この連載は青森市のホームページで閲覧することができます)。なお、おなじような連載は旧浪岡町でも行っていて(平成7年〜同17年)、こちらも市のホームページで閲覧できます(なみおか今・昔)。

 さて、「あおもり今・昔」第113回〜第120回では「碑文からみる青森市の歴史」というテーマで、市内にある石碑を取り上げています。石碑を取り上げる意義は「石碑は地域の歴史を語る基礎資料でもあり、石碑を知ることで地域の歴史を確認することもできる」ところにあるとその1回目で謳っています。
 市内で石碑が多くあるのは合浦公園、幸畑陸軍墓地、寺社の境内といったところですが、たとえば道路の開通記念碑であるとか橋の架橋記念碑など道端にある石碑も多く、意識をしていないと気が付かないものもあります。

 実は最近始めたのですが、休日を利用して市内の石碑めぐりをしています。先日は細越地区を訪れ、公民館の敷地内にある昭和14年(1939)に細越尋常小学校の同窓会有志が建てた「角田先生頌徳碑」や、細越神社でいくつか石碑を確認し写真に収めました。また、中細越バス停の傍には近年の復元ではありますが「細越村元標」(道路元標)がありました。これはちょっと驚きです。ちなみに、青森市の道路元標は善知鳥神社の前にあります。
 さらに、石碑ではないのですが、県道44号を安田方面から細越方面に進み環状7号を過ぎて少し行くと、左手に寛政8年(1796)4月14日に菅江真澄が訪れた生出(いきて)の観音の比定地を示した標柱があります。これは昭和41年4月に細越郷土研究会が立てたもので、同研究会はこのほかに青森変電所バス停の近くに天保の飢饉で廃村となった大橋村があったという場所に「遺蹟大橋村跡地」の標柱を立てていました。

 石碑めぐりを始めてからまだ日は浅いのですが、地図などではそこに石碑があるはずなのに見つけられないものがいくつか出てきています。単に探し方が悪いのか…今一度チャレンジしてはみますが、道端の石碑は道路の拡幅や付け替えなどで移されることもあるのでしょう。こうした「不在」情報を得ておくことも大事なことだと思っています。
 市内の石碑は膨大にあるでしょうから、私ひとりですべてを確認することは無理でしょう。それでも、気長にやっていこうと思います。石碑の所在情報がありましたら、ぜひお知らせください。



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青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp

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  • 登録日 : 2021/07/09
  • 掲載日 : 2021/07/09
  • 変更日 : 2021/07/09
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