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ここ十和田でしかみることができない38点の恒久設置作品が展示されている常設展は、草間彌生、ロン・ミュエクなど世界で活躍する33組のアーティストによるコミッションワークにより構成されています。また常設展スペースのほか、文化芸術活動の支援や交流を促進する拠点として、ギャラリースペース、カフェ、市民活動スペースなど、多様な機能を持ちます。
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。今日から青森ねぶた祭が始まりますね。そこで今回はねぶた祭に関連する話題として、明治42年(1909)8月の伊藤博文(1841−1909)の来青についてお話しします。
伊藤は明治42年8月、東北・北海道を行啓する韓国皇太子に同行し、青森市を訪れました。一行は8月1日に上野を出発し、水戸・仙台・盛岡を経由して8月5日に青森へ到着しました。翌日、北海道へ渡って各地を巡り、8月17日に青森へ戻っています。
では、伊藤は青森ではどのように過ごしていたのでしょうか。まず、8月5日の夜は公会堂で行われた歓迎会に出席しています。歓迎会では青森市会議長・工藤卓爾による挨拶のあと、伊藤が演説を行いました。8月7日付『東奥日報』によると、伊藤が水戸や仙台で行った演説は「二十分内外」でしたが、青森での演説は約40分と長いものでした。
伊藤の演説内容を記録した『韓太子随伴東北巡遊中伊藤公爵演説並詩草』(国立国会図書館デジタルコレクション)という資料を確認したところ、水戸での演説は15ページ分、仙台での演説は7ページ分、青森での演説は18ページ分でした。この資料からも他会場より長い演説を行ったことがわかります。
そして、北海道から青森へ戻った8月17日の夜はねぶたを観覧しました。この日は韓国皇太子が台覧するということで市役所が運行団体に対して参加を奨励したため、ねぶたの台数は「未曾有の大多数」となりました。また、規定を超える大型のねぶたも参加を許可されたといいます。
ねぶたは午後7時半頃、師範学校前(現市役所本庁舎附近)に集合し、韓国皇太子が滞在している知事官舎の周辺を運行したあと、午後8時頃から伊藤が宿泊する新安方町の中島旅館附近に「潮の如く押寄せ」ました。伊藤は旅館の居間から出て観覧し、踊り子に「是ハ面白い」と声をかけて旅館前で踊らせるなど、祭りを楽しんでいたそうですよ(明治42年8月19日付『東奥日報』)。
ちなみに、青森県史デジタルアーカイブスで「中島旅館」と検索すると「鉄道院指定 青森中島旅舘」という絵はがきを見ることができます。この絵はがきをよく見ると、建物に「公爵伊藤博文閣下御旅館」と書かれた表札が掲げられています。つまり、この絵はがきは伊藤が宿泊した明治42年8月に撮影された写真を用いて作られたものと考えられます。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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