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ここ十和田でしかみることができない38点の恒久設置作品が展示されている常設展は、草間彌生、ロン・ミュエクなど世界で活躍する33組のアーティストによるコミッションワークにより構成されています。また常設展スペースのほか、文化芸術活動の支援や交流を促進する拠点として、ギャラリースペース、カフェ、市民活動スペースなど、多様な機能を持ちます。
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。
9月12日(木曜日)、今別町の公民館歴史講座において「津軽線開通以前の上磯路 公共交通の姿」をテーマにお話をしました。事前に青森市と上磯地域を結んでいた船舶について知りたいというリクエストをいただいたことから、青森−三厩間で定期船を運航していた青森商船株式会社を中心に取り上げました。
歴史資料室では青森商船の社名が入った温度計を所蔵しており、これまでにも青森商船について調べたことはありましたが、講座に向けて改めて資料を集めました。
さて、青森商船株式会社について『青森市史』第三巻 港湾編 下(青森市 1956年)は「昭和十二年十二月県の斡旋の下に、東北商船株式会社、奥佐運輸株式会社、駒谷船舶部、下北運輸株式会社の四社の合併が実現し、資本金十五万円の青森商船株式会社が成立した」と説明しており、『三厩村誌』(三厩村役場 1979年)や『平舘村史』(平舘村 1974年)にも同様の記述があります。しかし、昭和16年(1941)に発行された『大日本都市大観』(帝国都市研究会)には「元東北商船株式会社、下北運輸株式会社、駒谷船舶部の三者を合併」という記述がありました。では、実際に合併したのは何社だったのでしょうか。
当時の新聞を確認したところ、合併に参加したのは東北商船株式会社、下北運輸株式会社、山上船舶部の3社とわかりました(昭和12年11月14日付『東奥日報』朝刊)。合併の背景にあったのは戦争の影響による重油や石炭などの価格高騰です。昭和12年10月、陸奥湾内で定期船を運航する4つの回漕業者が協議を行い、11月1日からの運賃値上げを決定しました(昭和12年10月26日付『東奥日報』朝刊)。旅客運賃は3割、貨物運賃は1割5分という大幅な値上げでしたが、12月1日には貨物運賃をさらに1割5分値上げしなければならない状況でした。そこで、経営者たちは諸経費の節約によって運賃を低く抑えようと協議を続け、3社の合併による新会社設立を決めたのです。
昭和13年2月18日発行の『官報』によると、青森商船株式会社の設立は昭和12年12月15日で、初代社長は東北商船株式会社出身の鈴木友吉が務めました。青森大学出版局編『青森に生きた田沼敬造』(1977年)に青森商船の関係者の集合写真(昭和13年1月1日撮影)が掲載されています。
そして、青森商船が運航する定期船は昭和33年に津軽線の蟹田−三厩間が開業するまで青森市と上磯地域を結ぶ主要な交通機関として機能しました。青森−三厩間ではバスも運行されていましたが、冬期間は運休となるため、定期船が重要な移動手段だったのです。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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