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「あおもり歴史トリビア」第601号(令和6年5月17日配信)

「あおもり歴史トリビア」第601号(令和6年5月17日配信)

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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。

現在、歴史資料室では企画展示「旅の思い出〜旅の記録からみる青森〜」を行っています。この展示では明治40年(1907)に青森市を訪れた俳人・河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう 1873−1937)の紀行文『三千里』(金尾文淵堂 1910年)を取り上げました。碧梧桐は明治39年8月6日、全国遍歴を志して東京を出発し、東北・北海道方面を巡り、翌年12月13日に東京へ戻りました。『三千里』はその旅の記録です。

碧梧桐は明治39年12月27日に青森県へ入り、八戸や野辺地を経由して、翌年1月16日から2月24日まで「冬籠」のため浅虫温泉に滞在しました。滞在中に記した文章の中で印象的なのが、湯ノ島や裸島を巡った1月19日の記録です。碧梧桐は裸島を「巨人の持ち古した楯」と表現し、「楯に似し岩めぐり鳴くは千鳥かや」という句を詠んでいます。裸島の独特の形は確かに楯のようにも見えますね。
「冬籠」の後、碧梧桐は北海道へ渡り、5月5日に青森市へ戻りました。青森市では合浦公園を散策したり、妙見で花見をしたり、俳句会に参加するなどして過ごしました。そして、5月16日には青森市を出発して龍飛崎や板柳、弘前などを訪ね、さらに板留温泉を経由して十和田湖へ至り、6月10日に秋田県へ入りました。

さて、碧梧桐が青森で交流した俳人の一人に岩谷山梔子(いわや・くちなし 1883−1944)がいます。山梔子は米町(現本町)生まれで、明治35年に俳句を作り始めました。明治40年1月14日に野辺地町で初めて碧梧桐と会い、浅虫温泉で「冬籠」をする碧梧桐のもとを頻繁に訪ねています。
例えば、『三千里』の2月11日の記録には「けさ去んだ筈の山梔子が二時頃飄然として部屋へはいつて来る」とあります。帰ったはずの山梔子が再び現れ、碧梧桐は驚いたことでしょう。「君まだ居たのか」と尋ねると、山梔子は紀元節で休みだからまた来たのだと答え、すぐに「何か一題作らう」と迫ったそうです。山梔子の俳句への情熱が感じられるエピソードです。

今年は山梔子の没後80年という節目の年であり、青森県近代文学館では5月22日(水曜日)まで新収蔵資料展示「俳人・岩谷山梔子−岩谷山梔子没後80年−」が行われています。また、弘前市立郷土文学館では7月8日(月曜日)までスポット企画展「没後80年 岩谷山梔子展」が開催されているそうです。この機会に山梔子の作品に触れてみてはいかがでしょうか。

※今回の内容は舘田勝弘編著『岩谷山梔子全句集』(2023年)などを参考にしています。





《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp

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