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「あおもり歴史トリビア」第465号(令和3年7月16日配信)

「あおもり歴史トリビア」第465号(令和3年7月16日配信)

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〈青森市メールマガジン〉
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 こんにちは! 歴史資料室の鈴木です。
 6月11日配信のNo.460で、明治45年(1912)の夏に『万朝報』が企画した「学生徒歩旅行」のお話をしました。今回は、その続きです。

 学生徒歩旅行の2人の選手のうち、専修学校(現専修大学)受験科の清水都代三(21)は青森市を起点に東へ向い、奥羽山脈の太平洋側を通って東京を目指します。一方、第一高等学校(現東京大学の前身のひとつ)の佐々木好母(24)は西に向い、日本海側を通って越後高田を目指します。彼らは、この徒歩旅行の紀行文を毎日『万朝報』に送り、それが連載されることになっていました。

 7月20日午後、2人は市民らの声援を受けながら、諏訪神社を出発しました。
 清水は、見送りの記者と共に合浦公園などを見学し、まずは浅虫に到着しました。そして、夜には宿泊する東奥館の窓から青森市の灯りを海越しに眺め、これからの旅に思いをめぐらします。
 翌日は裸島、二子島を眺めながら道端に咲くハマナスの花の香りを楽しみ、山口、小湊を経て、鉄道の防雪トンネルに冬の雪の多さを想い、野辺地に着きました。野辺地では思わぬ歓待を受け、3日目は寝不足のまま出発。この日は、明治41年に創立された枇杷野の青森種馬所を訪れて七戸に泊まり、さらに旅を続けました。

 ところが、8月1日に盛岡に着いた清水は、突然病に倒れてしまいます。そして、どうしても手術を受ける必要があり、東京に戻らなければなりませんでした。しかし、補欠の富田の都合がつかず、急きょ日本海側ルートの補欠である第一高等学校の久米正雄が帰郷先から呼び出されました。久米は母の生家のある現在の福島県郡山市から、まず東京に向い清水に面会しました。清水は「辛抱さえすれば仙台くらいまで…」と悔しさをにじませますが、久米にあとを託します。
 久米は8月7日の晩に東京を発ち、いったん郡山で下車し、駅で紀行文「盛岡より東京まで」の第一信を書きました。そこには、少年時代を郡山で過ごした久米が、「第二の故郷」と思う東北を歩けることを非常に嬉しく思っており、「僕は東北を贔屓(ひいき)にしているのだ」と書かれています。
 また、日本海側を歩く佐々木は学校の友人でしたから、彼も歩いていると思うことは久米のとって励みになっただろうと思います。
 そして、8月10日から9月23日までの45日間を歩き通し、清水のあとを受けて書き送った紀行文が55回にわたり『万朝報』に掲載されたのでした。

 テレビもラジオもなかった時代に、学生たちが旅で出会ったあれこれを若い筆致で伝える旅番組のようなこの企画、なかなか面白いと思いませんか。

※今回のトリビアは『新聞集成大正編年史 大正元年版』(1978 明治大正昭和新聞研究会)、小谷野敦『久米正雄伝―微苦笑の人』(2011 中央公論社)を参考にしました。



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  • 登録日 : 2021/07/16
  • 掲載日 : 2021/07/16
  • 変更日 : 2021/07/16
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