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ここ十和田でしかみることができない38点の恒久設置作品が展示されている常設展は、草間彌生、ロン・ミュエクなど世界で活躍する33組のアーティストによるコミッションワークにより構成されています。また常設展スペースのほか、文化芸術活動の支援や交流を促進する拠点として、ギャラリースペース、カフェ、市民活動スペースなど、多様な機能を持ちます。
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
青森市は平成5年(1993)度〜平成7年度の「計画期間」で、「現在つかわれなくなった旧地名」を掘り起こして17か所に表示板を設置する事業を計画し(『青森市旧地名・ゆかりの地表示事業計画書』)、実施しました。米町・鍛冶町…などと旧地名(町名)が記された茶色の柱で、町名の下には「由来文」が記されています。設置場所は、藩政時代の青森町と旧浦町村に集中しています。
藩政時代の地名(町名)はほぼ表示板になっていますが、新町と安方町はありません。おそらくは、現在も使われている地名(町名)だからなのでしょう。一方、「堤町」は現在も地名(町名)として使われていますが、表示板があります。さらに、「野脇」は2か所に設置されています。
また、堤町1丁目には「松森町」の表示板があり、その後方に「松森町々会所」があります。市民のみなさんにとって、松森町といえば駒込川の東側、青森テレビや青森放送のある辺りをきっとイメージすることでしょう。藩政時代は表示板のある辺りも松森町と呼んでいたのです。
ただ、この松森町は青森町が誕生した時点ではまだ町割りがなされてなく、17世紀末以降の新田開発によって成立したのではないかとみられます。さらに、松森町が関わるできごととしては、明治5年(1872)3月25日の大火があげられます。松森町から出火した火災で、堤川河口付近にまで延焼し、当時堤川の中州(青柳橋附近)にあった諏訪宮(現諏訪神社)も被害に遭い、また堤橋も焼け落ちたといいます。諏訪宮はこれをきっかけに現在地に遷宮することになります。
松森町をはじめ、現在は使われていない旧地名(町名)のなかには、現在町会名として残っているものがあります。みなさんがお住まいの町会の名前は、ひょっとしたら旧地名(町名)に由来するかもしれませんよ。
また、テレビ番組でも紹介されたことがあるようですが、電柱にも旧地名(町名)が残されているケースがあります。
旧地名(町名)はその当時の人々の暮らしや生業、さらにはその町の在り方を反映したものが多いです。その意味では、もっとも身近な地域の歴史が旧地名(町名)にあるといっていいでしょう。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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