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「あおもり歴史トリビア」第582号(令和5年12月15日配信)

「あおもり歴史トリビア」第582号(令和5年12月15日配信)

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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。今年は明治・大正期を代表する歌人・若山牧水(1885−1928)の没後95年という節目の年です。若山は大正5年(1916)と大正15年に青森県を訪れ、県内の文化人と交流しました。今日はこの2回の来青についてお話ししたいと思います。

大正5年3月の来青の際は、若山と面識があった藤野草明(青森市の画家・歌人)が野辺地駅で出迎えました。さらに、浦町駅からは高田蛍汀と松井白花(青森市の歌人)が若山の乗る列車に同乗しました。二人が乗り込むと、若山は徳利を取り出して「一杯まいりましょう」と声をかけたそうです(高田蛍汀「都の人々へ 牧水氏を青森に迎えて」『東奥日報』大正5年3月30・31日付)。お酒を愛した若山らしいエピソードです。その後、青森駅で下車した若山は淡谷悠蔵(青森市の歌人)らの歓迎を受けました。

若山は3月20日から29日まで浜町にある藤野のアトリエに滞在しました。青森の風俗を珍しいと感じた若山は「二階から寒いのも忘れて一時間も二時間も」街のようすを眺めたといいます(若山牧水「板留より その三」『東奥日報』大正5年4月14日付)。そして、3月30日に青森市を出発し、五所川原町(現五所川原市)や山形村(現黒石市)の板留温泉に滞在しました。鳴海静蔵『黒石百年史』(黒石市 1962年)によると、青森市の酒店で番頭を務めていた松井は板留温泉へウイスキーを届けたそうです。

次に若山が青森を訪れたのは大正15年7月23日のことでした。浦町駅で原むつを(五所川原町の歌人)と田浦荒波(鰺ヶ沢町の歌人)が、青森駅で藤原柯芳(青森市の俳人)や船水公明(青森市の歌人)が出迎えました。そして、船水の家に移動して酒を飲みながら交流を深めました。夜にはルパシカ服(ロシアの民族衣装)を着た淡谷もやってきました。若山は「今では歌などやめてしまつた様な人たちが昔に変らぬ友情で接して呉れる」ことに心を打たれ、集まった人々を眺めながら「ひそかに幾度か眼尻を拭うた」といいます(若山牧水「北海道行脚日記」『牧水全集 第5集』1930年)。

若山は船水宅に一泊し、翌朝7時の連絡船で函館へ向かいました。若山にとってはこれが初めての北海道旅行であり、心のときめきを感じていたようですが、「青森のノミスケどもにもりつぶされた(酔いつぶされた)」影響により船内で眠ってしまいました。いつの間にか函館に着いていたので「苦笑しながら」船を降りたそうです。青森で楽しい時間を過ごし、ついお酒を飲み過ぎてしまったようですね。


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  • 登録日 : 2023/12/15
  • 掲載日 : 2023/12/15
  • 変更日 : 2023/12/15
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