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「あおもり歴史トリビア」第562号(令和5年7月14日配信)

「あおもり歴史トリビア」第562号(令和5年7月14日配信)

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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは! 室長の工藤です。
今から78年前の昭和20年(1945)7月14日、そして翌15日の2日間にわたるアメリカ軍の艦載機による爆撃は、大湊・三沢の海軍施設のほか青森・八戸の港湾・鉄道施設等が攻撃目標とされ、野内の石油配給統制株式会社野内油槽所もそれに含まれていました。また、青函連絡船にも爆撃が加えられ12隻の青函連絡船は全滅しました(以上、『新青森市史』通史編第3巻)。そして、青函連絡船に集中攻撃を加えた編隊は、この両日函館市にも爆撃を加えていました。

先月末に函館市にある称名寺を訪れたところ、境内に函館空襲の罹災者の慰霊碑のほか、空襲による津軽海峡・噴火湾(内浦湾)・陸奥湾船舶犠牲者の碑がありました。慰霊碑によれば「函館港内や津軽海峡航行中の船舶は爆撃を受けて85隻が沈没や破壊され」、さらに函館市内では多くの死傷者・負傷者を出し、最大の被災地区であるという駒止町・天神町・旅籠町・船見町・鍛冶町地区では「384戸が全半焼しました」とその罹災状況を伝えています。
また、『函館市史』通説編第3巻によると、函館市内の14日の空襲では住宅密集地が爆撃されたため火災が発生し、それが風速10メートルの西風に煽られ大火になり被害が拡大したようです。さらに、函館駅構内に投下された爆弾により、作業中であった札幌鉄道郵便局の従業員23名が命を落としたといいます。2日間の空襲で79人の命が失われました。

この両日は、函館市のみならず北海道内の広い範囲が空襲に遭いました。かなでも、「千島列島との連絡基地であった根室、漁港の釧路、工業地帯の室蘭、青函連絡船の要衝函館」(『日本の空襲1 北海道・東北』三省堂、1980年)などで大きな被害となりました。これらのうち、14日は港、15日は市街地が爆撃された根室町では町民の74パーセントに相当する11,000人が罹災したといいます(『北海道の歴史』山川出版社、2000年)。
北海道空襲は艦載機による空襲のみでしたが、室蘭市では15日に艦砲射撃を受けています。この北海道空襲での死者は1,925人、負傷者970人、罹災人口は33,400人であったといいます(前掲『北海道の歴史』)。

現在、青森市民図書館内では各フロアで(アウガ6〜8階)で戦争・平和に関する資料展示を行っています。また、青森市は市街地に大規模な空襲があった7月28日を「青森市平和の日」としています。


《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp

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青森市中央1-22-5
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  • Posted : 2023/07/14
  • Published : 2023/07/14
  • Changed : 2023/07/14
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