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ここ十和田でしかみることができない38点の恒久設置作品が展示されている常設展は、草間彌生、ロン・ミュエクなど世界で活躍する33組のアーティストによるコミッションワークにより構成されています。また常設展スペースのほか、文化芸術活動の支援や交流を促進する拠点として、ギャラリースペース、カフェ、市民活動スペースなど、多様な機能を持ちます。
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
青森市が「青森市の歴史」を史料集として初めてまとめたのは今から115年前、明治42年(1909)発刊の『青森市沿革史』です。この史料集は市内の歴史研究に大きく寄与し、ちょうど50年前に刊行が終了となった『青森市史』の叙述もずいぶんと影響を受けています。
そして『青森市史』が完結してから20年程がすぎた平成8年(1996)秋、新たな市史編さん事業がスタートし、10年前の平成26年3月の『新青森市史』通史編第3巻と第4巻を発刊し本の刊行が終了しました。ここで『新青森市史』と『青森市史』の歴史叙述を比較してみると、『新青森市史』は『青森市沿革史』の影響をほぼ受けていないという点に特色があります。
これは、青森県内のみならず全国の史料保存機関に出向いて調査ができる環境(組織面・予算面など)が整い、良質な史料を新たに発掘できたことにあったと思います。
これに加えてもうひとつは、『青森市沿革史』が抱える(現在の歴史研究の水準からみたときの)問題点があります。それは、掲載されている史料に信頼性が担保されていないものがあり、しかもその多くが原典を失っているため、そうした史料を歴史事実を確定するための根拠として使っていいかどうか…悩ましいところがあるのです。
たとえば、寛文13年(1673)3月条に掲載された史料に「青森港新町三丁目」という文言があります。あくまで私の経験則ですが、当時は「青森港」は「青森湊」であり、「新町三丁」という表現はあっても、「新町三丁目」は見たことがありません。「港」「目」の用例は近代以降のものではないかと思えるのです。
そして典拠は「村井旧記」とあります。「村井」とは藩政時代に青森の町年寄を務めた家だと思われ、そのお宅にあった旧い記録が「村井旧記」なのだろうと想定します。ただ、原典が失われているため、「港」「目」といった用字が本当に使われていたのか、掲載された文書がその当時のものなのか、後に写されたものなのかが分からないのです。
細かいことと思われるかもしれませんが、『青森市沿革史』の使いづらさは否定できません。
「確かな歴史事実は、確かな史料から導かれる」(白水智『古文書はいかに歴史を描くのか』NHK出版、2015年)という先覚の言葉を大切に、13年目の「あおもり歴史トリビア」のスタートです。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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