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ここ十和田でしかみることができない38点の恒久設置作品が展示されている常設展は、草間彌生、ロン・ミュエクなど世界で活躍する33組のアーティストによるコミッションワークにより構成されています。また常設展スペースのほか、文化芸術活動の支援や交流を促進する拠点として、ギャラリースペース、カフェ、市民活動スペースなど、多様な機能を持ちます。
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
夏休みそしてお盆…行楽や帰省などで多くの人が移動する時期ですね。私も今週、ちょうど台風5号が接近していた頃、その間隙を縫って3日ほど札幌へ行っていました。
そこで今回は移動手段としての「飛行機」の話題をひとつ提供いたします。史料の典拠は昭和12年4月の『東奥日報』ですが、注記の繁を避けるため「日」と朝夕刊の区別だけを示します。
昭和8年(1933)6月、現在の油川中学校周辺に青森飛行場は竣工しました。この飛行場は東京―札幌を結ぶ空路にあって、給油や休憩など中継港的な機能を担うことが期待されて開港しました。しかし、すぐに定期便が飛ぶことはなく4年後の昭和12年4月1日にようやく実現しました。
定期便初日となる4月1日午前9時40分、札幌からの最初の飛行機が青森飛行場に着陸しました(2日付1日夕刊)。しかし、これには旅客搭乗はありませんでした。というのは前日の31日の朝から青森飛行場は小雪が舞うという天候であったため、逓信省が札幌―青森間の旅客運行を禁止したのです(1日付朝刊)。また、青森飛行場の場長の談話によれば、当日は青森・札幌両飛行場の滑走路のコンディションが悪かったといい、とくに青森飛行場の滑走路は東西方向のものしかなく、風向きによっては飛行ができなくなるとのことでした(2日付1日夕刊)。したがって、札幌―青森間の初日は郵便物のみでのフライトということになりました。
翌2日、ついに旅客搭乗が実現し札幌から4名の旅行者、さらに青森からも東奥日報社の記者と六戸村の男性が搭乗し東京へ向かうことになりました(3日付2日夕刊)。なお、3日と4日の朝刊にはこの記者による搭乗記が掲載されています。
一方、東京羽田からの便については、羽田―仙台間は旅客の搭乗があるものの、仙台―青森間はやはり旅客なしでのフライトとなりました(1日付朝刊)。
また、この便には東京から「蕎麦」が「小荷物」として積み込まれていました。送り主は前年設立したばかりの通信社「同盟通信社」で、あて先は「東奥日報社」でした(2日付朝刊)。青森に到着した蕎麦は同盟通信社の支社長が受取り、東奥日報社に届けられました。同社の食堂では、集まった山田金次郎社長はじめ社員が「幸福の初便り」である蕎麦を取り囲み、その後「江戸前の風味を持つた『タレ』にひたして啜る蕎麦は、飛行機の様に一気に咽頭を通過」したと記事は綴っています(同上)。
定期便の就航で東京と青森が「近く(=傍=蕎麦)なった」にかけた洒落でしょうか。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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