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「あおもり歴史トリビア」第579号(令和5年11月24日配信)

「あおもり歴史トリビア」第579号(令和5年11月24日配信)

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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。文化遺産課の石戸谷です。
伝統的な風習が色濃く残っていた、概ね昭和30年代までは、旧暦11月(新暦では12月)23日から24日にかけて、ダイシコ様(ダイシ様やタイシ様などとも呼ばれ、大師講と書いたりもする)を祀る行事が、東北から関東・北陸・中部・山陰地方にかけて分布し、家々で行われていました。
青森県内の伝承では、23日に小豆粥や小豆飯(おはぎとするところもある)にカヤ(南部地方では桃の枝を用いることもある)で作った長さ2尺(60センチほど)もある箸を2膳添えて神棚や戸棚に供えました。
青森市宮田地区では、小豆粥と豆腐汁を神棚に供えました。タイシ様は子どもがたくさんいるので、長いカヤの箸を使って食べさせるのだといいます。合子沢地区では、焼いた豆腐とシトギを供え、それに長いカヤの箸を添えました。ダイシコ様は貧しい神様で、正月に年取りが出来ないので、11月に行うのだといわれます。
お供えに長い箸を供えることは、この神の特徴でもあり、秋田県の雄物川周辺では、ダイシ様は24人も子どもがいて、短い箸ではみなに食べ物が行き届かないために、わざわざ長い箸を添えるのだと伝えています。
この日はまた、吹雪になるともいわれており、宮田地区ではタイシコ吹き、平川市小国地区ではダイシコ吹きと呼んでいます。特定の日の気象現象に、神の去来を感じたのかもしれません。
さて、地域によっては、ダイシ・タイシに大師や太子の文字を当てることによって、ダイシコ様は、弘法大師空海や元三大師良源(角大師とも呼ばれる)、聖徳太子など歴史的聖者であると説明されることがあります。五戸周辺では、この神の姿について、角が生えて色の黒い足のひょろ長い人の絵姿であるとしていますが、これは明らかに角大師のお札の姿からきたものでしょう。ダイシコ様は貧しい神であるとすることは、やせ細ったこの図像のイメージから生まれたものではないかとの指摘もあります。
しかしながら、民俗学では、ダイシ・タイシとは、特定の人物ではなく、神の子を意味する大子(オオイコ)を音読みしたものという説が一般的です。この行事は、一年でもっとも昼の時間が短い冬至の前後に来訪する尊いマレビトを、小豆粥を供えて祀り、その年の新穀を祝い、太陽の復活を待って穀霊の新生を望んだ農耕儀礼が背景にあるのではないかと考えています。

※今回取り上げた事例は、『青森県立郷土館調査報告書』、『青森市史叢書』民俗調査報告書、『定本柳田國男集』第26巻等を参考にしました。

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電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp

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  • 掲載日 : 2023/11/24
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