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ここ十和田でしかみることができない38点の恒久設置作品が展示されている常設展は、草間彌生、ロン・ミュエクなど世界で活躍する33組のアーティストによるコミッションワークにより構成されています。また常設展スペースのほか、文化芸術活動の支援や交流を促進する拠点として、ギャラリースペース、カフェ、市民活動スペースなど、多様な機能を持ちます。
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〈青森市メールマガジン〉
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皆さん、こんにちは。文化遺産課の設楽です。
前回の担当分(9月27日配信号No.620)では、日本刀に関する歴史の概略とともに、浪岡にゆかりのある刀工 森宗についてご紹介しました。今回も津軽地方の刀工についてご紹介します。
津軽地方においては、室町時代以降、森宗をはじめ、幾人もの刀工が存在したことは、前回も紹介したところですが、製鉄について研究している私としては、彼らがどのような鉄を使ったのか、また、その鉄はどこで生産されたのかということにとても興味があります。日本刀の製作には、「玉鋼」(※)とよばれる高品質な鋼が素材として必要となるからです。
江戸時代後期の安永(1772〜1781)から天保年間(1831〜1845)に活躍した、弘前藩のお抱え刀工である「正賀(まさよし)」が製作した刀剣は、津軽地方の刀工が製作した刀の中でも、素材とした鉄の産地を銘に刻んでいる数少ない事例です。
正賀が製作した刀や剣には、「外浜の砂鉄を鋳て之を作る」、「外浜の砂鉄を以って」、「外浜小国村の鉄を以って之を造る」というような内容の副銘が刀の茎(なかご)に刻まれたものがあります。当時、弘前藩では、小国鉄山(現外ヶ浜町小国地区)が鉄生産の中心を担っており、外浜と呼ばれた陸奥湾西岸にあたる広瀬村(蓬田村広瀬地区)から蟹田(外ヶ浜町蟹田地区)前の浜辺を中心に採取した砂鉄によって鉄を生産していたことが文献史料に記載されています。このことから、正賀が製作した刀の素材は、陸奥湾西岸の砂鉄を原料に小国鉄山で生産された鉄であったと考えられます。
今週末の12月21日(土)、22日(日)に青森県総合社会教育センターにおいて、「地元の縄文再発見フェアinとうせい」が開催されます。
東青地域の縄文遺跡から出土した土器・石器等の展示会や、弓矢等の体験学習会のほか、22日は、地元の研究者等による遺跡報告・講演会とシンポジウムも行われます。大人も子供も楽しめる2日間となっておりますので、皆様是非お越しください。
日 時:令和6年12月21日(土)、12月22日(日) 9:30〜17:00
会 場:青森県総合社会教育センター(青森市荒川藤戸119−7)
事前申込:不要
入 場:無料
その他:遺跡報告・講演会・シンポジウムは12月22日(日)のみ開催。
※ 玉鋼(たまはがね)
たたら製鉄で得られる鋼のうち、最も高品質な部分をいいます。「玉鋼」と呼ばれるようになったのは明治以降で、それ以前は「釼(はがね)」と呼ばれました。
《参考文献》
雀部実ほか編 2003 『近世たたら製鉄の歴史』
東奥日報社 1969 『青森県人名大辞典』 「正賀」
青森県 1971 『青森縣史 第三巻』
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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