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「あおもり歴史トリビア」第581号(令和5年12月8日配信)

「あおもり歴史トリビア」第581号(令和5年12月8日配信)

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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは!室長の工藤です。
11月30日付の『東奥日報』に「青森港開港・まちづくり開始400年/官民一体で記念事業」という見出しの記事が掲載されました。記事によれば、令和7年(2025)が青森開港400年、翌令和8年がまちづくり開始から400年だといいます。ですからこのフレームでいうと、青森開港は寛永2年(1625)ということになります。

ところで、青森市会は昭和12年(1937)6月に市制施行40年と開港30年記念祭を行うための予算を可決しました。こちらのフレームでいうと、開港は明治40年(1907)となり、寛永2年の開港とは280年以上のズレが生じることになります。もっともこのズレの理由は明白で、明治39年に青森港が特別輸出港となり貿易港に指定されたことをもって「開港」と理解されたからです。
そして明治39年5月20日、合浦公園を会場に「青森開港及開市二百八十年紀念祝賀会」が催されました。なお、ここでいう「開市」というのが寛永2年の「開港」に相当します。したがって、少なくとも20世紀前半の青森市民にとって「青森開港」は明治39年だと認識されていたということなります。また、青森港の本格的な築港に着手したのは大正4年(1915)のことです。ですから、私たちがイメージしやすい近代的な青森港が名実ともに「開港」したのはせいぜい100〜120年前のことであったのです。
「青森開港400年」の意義については、今後の「記念事業」のなかで語られていくことになるでしょう。しかし、一方でそれとは異なる「青森開港」を歴史上設定できるということも知ってもらいたいところです。

さて、昭和12年の記念祭に話を戻しますと、6月の末にはポスターができあがり開催日も9月6日から3日間と決まりました。そして7月上旬にはプログラムも決まり、提灯行列・舟行列、さらには民謡や手踊りの演芸会、卓球や水泳、小学校の連合運動会など盛大な催しとなることが期待されました。ところが、ちょうど時をおなじくして日中戦争が勃発したのです。
ここで青森市は記念祭を開催するかどうかの判断を迫られます。新聞も「事変と青森開港記念祭」というタイトルの論説で記念祭の中止、さらにはこれにかかる経費を「我が国家に献じ」るべきであるといい、「日本国民である以上」この提案には「双手を挙げて賛成下さるものと信じて疑はないのであります」と結んでいます。

結局、青森市は8月上旬に「適当な時期まで延期し寄付金は保管する事に決定」します。目下の調査では「適当な時期」を発見できず、延期はそのまま中止の方へ向かったのではないかと見立てています。


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  • 登録日 : 2023/12/08
  • 掲載日 : 2023/12/08
  • 変更日 : 2023/12/08
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